「はあ。」 今日中にやっとかなきゃいけない採点が終わった時には、夜の七時を回っていた。隣席の数学の先生はもう帰ってるし、職員室には私みたいに残業で残っている人が居るだけ。最近の学校は残業が多くていけない。仕事だから、文句はいってられないけどね。まだまだ残る人たちに、心の中でひっそりとエールを送る。それから帰宅準備をした。 今日は本当に精神をすり減らす一日だった。生徒たちはハロウィンだ祭りだと叫び、校則違反のお菓子を持ち込んで授業中にも関わらず食べだす。それを逐一注意するのも疲れたが、何より厄介だったのは例の如く私お抱えの問題児だ。思い出すだけで、 「・・・はあ。」 溜め息が出る。 「お疲れ様です。」 「ああ、先生お疲れ様です。お気をつけて。」 まあ、しかし終わった事だ。今日はもうやつに会うことも無いだろう。職員室に残っている先生に挨拶をしてその場を後にした。頭がずきずきするな、これはもう体が休養を必要としている。 「よし、今日はもう帰って寝よう。」 「そーっすね、俺も今日は疲れたっす。」 扉を開ければ其処には悪夢。今日と言う日を地獄にしてくださった張本人が眠そうに頭を掻きながら携帯をいじっていました。 「は、榛名!?あんた何やってんの!?」 「今日チャリ忘れちまったんでセンセの残業終わったら送ってもらおうと思って。」 「教師に集るなああぁあぁぁぁあ!!」 にこっと、そんなキャラじゃないのに爽やかそうな笑顔を浮かべて平然と言ってのけるのは榛名元希。私に振られたことを根に持ち毎日飽きずに嫌がらせをしてくる生徒。お抱え問題児再来だ。 「断る、家そんなに遠くないでしょ!?歩いて帰りなさい!」 「いや、けどここら辺最近物騒で歩いて帰るにはちょっと暗すぎるんすよね。」 外を見れば、時期が時期だから真っ暗だ。 大方、榛名の考えることは解る。車に乗りたいだけだろう。しかし、確かに職員会議で変質者の目撃情報多数だからと注意はされてたし・・・。ちらり、榛名を見ればずっとにこにこ笑ってる。榛名の企み、そこまでは読めないが、やっぱり教師として生徒を危険な目に合わせるわけには、けど私が危険な目に合うのも・・・。どうしようか唸って迷ってると、すぐ後ろの扉から残業中の先生が顔を出す。 「先生まだ帰ってなかったんですか?なら丁度良かった。先ほど警察から不審者情報入ったので渡しておきますね。」 「あ、はい。」 不審者情報?何処で起きたのだろうと思いながらも渡された紙を手に取る。 「いやー、この地域も物騒になりましたねぇ。すぐそこで出たんですってよ、変質者。」 「うわーやべー。俺超怖いっす。」 これはもう榛名の思惑通りだと思った。 結局、助手席に榛名を乗せて車を発進させることになった私。ただでさえ疲れてるのに、これ以上榛名と一緒に居てちょっかい出されるのは勘弁だと思っていたけど、座った途端溜め息をついて黙り込んでしまったのには少し調子を狂わされた。 「・・・何、なんでそんな大人しいの。病気?」 「あんた俺をなんだと思ってんすか。」 俺は部活でお疲れなんすよー。と言いながら、座席に深く腰掛ける。榛名は野球部で、連日遅くまでハードな練習をしている、らしい。私は顧問じゃないから、偶に窓から見える景色だけしかしらない。授業の合間もこんなに静かだったらいいのに、榛名に聞こえないように溜め息をついた。 「家、どっちに曲がる?」 「次の交差点を左っす。」 「ん、解った。」 「・・・・・・・・・・・・・・。」 いや、けどこんなに静かな榛名はむちゃくちゃ気持ち悪い。一分以上黙ってられないイコール榛名なのに!どうしたんだろう、少し心配になって隣を見てみると、瞼は殆ど開いてない。そっか、眠いのか。私とは別の意味で疲れてるんだろうな、榛名。 信号に差し掛かり、丁度赤になった時に思い出した。そうだ、ポケットにチョコレート入れてきたはずだ。探ってみると、思った通り。チロルチョコ、好きだから自分で食べたかったんだけどなぁ。 「ほら、榛名。」 「んー・・・、なんすかコレ。」 「チョコ。疲れてるときにいいんだって。」 「センセー、俺にプレゼント?あ、もしかしてやっと惚れ「食べるか黙るかどっちがいい?」 拳を作って見せれば食べますと言って即座に口に放り込んだ。その瞬間の、嬉しそうに微笑む顔を見て、何故か私まで嬉しくなって微笑んでしまう。こんな素直に感情を表現できるのも子どものうちだけだと、年寄りじみた事も同時に思った。なんか、働き出してから随分と老けた気がしなくもないのは気のせいか。 信号が変わって走り出す頃には、チロルチョコは全て榛名の栄養分に。さようなら私の楽しみ・・・。 「それで満足?」 「まあまあすねー。」 「貰っておいてそれか。」 「センセー。」 「なに。」 「trick or treat.」 ・・・ああ、始まった。今日一日悩まされてたのはこれ、この呪文の言葉だ。中休みになれば授業をした教室の扉から顔を覗かせ、ある時は職員室に入ってきて菓子を寄越すか悪戯させるか選べとくる。そんなのできるわけないだろうが。職員として、学生に悪戯されるのもお菓子をあげるのも問題だ。 「・・・・・はあ。」 今度はわざと榛名に聞こえるように溜め息をつく。そして、これもまた今日何度目かのお説教。 「いい加減にして、というかそろそろPTAに怒られるから。」 「PTAねぇ・・・。あれってなんなんすか?パレントがティーチャーをアタックする会?」 「Pearent Teacher Association、親と教職員が協力する会よ、アタックされてたまるもんですか。」 しかし今、アタック沙汰になりかけてるのも確かだ。生徒をそそのかしてると父母会からの攻撃待ち状態なのも否めない。もちろん、この榛名のことだ。こいつのストーカーじみた行為は既に周知の事実と化している。そうとも知らず、この能天気が・・・!! 「あ、センセーそこ、そこが俺の家。」 殺気を感じたのか、それとももうその話題に興味が無くなったのか定かでは無いけれども、私の方に向けていた視線を一軒の家にうつす。ああ、やっと榛名から解放される!疲労の限界なのか、自然と笑みを浮かべ始めた顔を見られないようにしつつ、家の手前で車を止めた。 「榛名帰れ、速攻で帰れ、さっさと帰れ。」 「センセー、発言がガキ並みっす。」 鼻で笑われたが関係ない。 「俺このまんまセンセん家行きたいんですけど。」 「私はあんたを殴りたいんですけど。・・・早く帰りなさい。」 これは、榛名の身を案じて言っていたりもする。連日部活で疲れてないはずもない。生徒をみすみす病気にさせるほど浅はかではない・・・と、オブラートには包んでみたものの、実際は私が早く家にかえりたいだけだったりする。それが伝わったらしく、しぶしぶと言った感じで助手席から降りて荷物の置いてある後頭部座席へ移動する。見送りついでに私も車から降りた。 「あーあ、疲れてなけりゃ先生押し倒して既成事実つくろーって思ってたのに。」 「何言っちゃってんの高校生。寝言なら寝て言えお馬鹿。」 「いや、結構本気で狙ってたんすよねー。今日悪戯できんじゃん?」 「そうか、なんか疲れると思ったのは疲労に危機感が足されてたからか。」 バッグとバットを持って失敗失敗という。殴ろうかと思ったけど、怒鳴りつける体力も残っていない私はもう一度溜め息を吐くだけ。 「先生、幸せ逃げてますよ。」 「誰さんのお陰でね。」 「あ、もしかして俺?お礼なら先生の体で「帰れ。」 背中を押して家の玄関まで持っていく。大人しくそれに従う榛名に場違いにもありがたく思う、私も帰りたい。 「あ、忘れもんあった。」 と、家にたどり着く一歩手前で私の力など無視して停止した。なんか負けた気がするんだけど男女の差だと思っておこう。振り向いた榛名に向かって首を傾げれば、にやりと薄笑いを浮かべられる。やばい、直感的にそう思い逃げる、が、その前に捕まえられた。抵抗しようとしても、男女の差を先ほど自分で認めたばかり、敵わない・・・。途中から抵抗をやめたのは、セクハラ目的では無い気がしたからだ。そんなに強く抱きしめられてるわけではない、けど、包み込まれる感じが温かかった。 「先生、送ってくれてアリガトウゴザイマス。」 お礼と共に頬へ一つキスをして、私が怒鳴る前に家の中に駆けていく。殴ることも叱ることも怒鳴ることさえもできないまま、私はぽかんと立ち尽くしてしまった。そしてうっかり頬を赤らめる、何故、榛名相手に。情け無い、不覚にも温かくて安心してしまっただなんて。もう当分顔なんか合わせられないよこれ。 恥ずかしくて急いで車に戻れば、榛名が座っていた座席に、キーホルダーの付いた鍵が落ちていた。形からして自転車の鍵で、本当は自転車で来てたのだろう。私の残業待ってるより自転車で帰れば早かったのに、と、榛名の馬鹿さ加減に半ば呆れつつも可愛く思ってしまった。 うっかり 何がうっかりって、榛名に癒されたのが。 あとがき ハロウィン企画でリクしていただいたものでした! 榛名で甘いの!の、はずが、榛名っぽい人でセクハラ!に変わってしまったのがとても申し訳ないです。榛名さんが、偽者だ・・・! 榛名は先生と一緒に帰りたかっただけ、すこしでも時間を一緒に過ごしたかっただけ。先生はとても疲れて最近溜め息ばかりだったり、榛名に振り回されて頭痛が止まなかったり。けど結局その榛名が温かくてうっかり疲れを忘れてしまったり。人肌ってなんだか落ち着くんですよね。冬とか特に。 ・・・と、もっともらしい事言って駄作払拭をしようとしましたが無理でした!(おい) こんな榛名ですみませんでしたー!! |