最初は、ただのひとだと思ったのだ、悪い人だと。












その人は、女性すらもあまり好まないと思われる派手な蝶の柄の着物を一枚着ていた。黄と紫の毒々しいそれはあまり目に良いものではない。素晴らしくありえない色彩にくらりと来て、胸の中で、何かがぐちゃぐちゃと動き回る事に吐き気を覚えた。抑えるように手を当てれば、普段より早い鼓動。緊張ではない、これは、嫌悪だ。嫌なのだろう、その色と同じような、その人の雰囲気が。向こうは私が見ていることに気が付いていない、ただ、煙草を銜えて、遠くを眺めながら白煙を時折吐き出すだけ。綺麗な白色なのに汚らわしい空気だと、その度に眉を顰めた。それに、その人が持っているものは煙草ではない。煙草より大きく、しっかりしている。キセル、といったか。中学校の、社会科見学で行った歴史資料館で展示品として飾られていた。あれよりいくらか綺麗なキセル。形だけは、と付け足しておこう。汚い空気はそこで源を作っているから。


都会のネオン、車のクラクション、雑踏のノイズ、どれにも当て嵌まらないその人に、誰も気が付かない。驚いたのは、そこだった。この人が居る場所を言おう、渋谷だ。渋谷駅だ。さも当たり前のように忠犬ハチ公の頭を椅子にして座っているおかしい人だ。なのになんで誰も気が付かない。着物だって、今時見ないだろう。居たとしても、この冬近い季節に一枚で、だらしなく着ている人が居たら、寒そうだと目をくれるものだろう。それすらなかった。一つの異常にも敏感な人々が、こんなにも危ない人に気が付かないなんて、おかしい。それとも、おかしいのは気が付いた私の方なのか。










「そこ、座っちゃいけないんですよ。」


友達が早く行こうよと手を引く、その力の方が強いはずなのに、ハチの頭を椅子代わりに座るこの人の方が強くひいていく。一歩前に出れば人の足を蹴ってしまった、怒られた、その声さえガラス越しのようにくぐもって聞き取りにくい。音が徐々に消えていく、声もローファ独特の足音もマフラーを唸らせる音も。聞こえるのは、その毒々しい空気を吐き出す音と私の呼吸。


「その犬は、とても偉い犬なんですよ。貴方が座っていい場所ではないんですよ。」


話しかけても、その人は遠くを眺めるだけ。目は、邪魔するビルも見えていない。もっともっと遠くを視ていた。それは、物なのかもしれないし、人なのかもしれない。あるいは、もっと別の、何かを見ているのかもしれない。


「退いてください、降りてください。罰が当たりますよ、神様に怒られますよ。」


もし、神様が居るとしたら、こんな残酷な事はなさらないだろう。いや、居るからこそ、するのかもしれない。冷たい空気が私の頬を刺し、その人の恰好が、心理的に私を冷やす。心地よい冷たさでは無かった。これ以上言っても意味が無いと、寒さに震える私の心が告げる。微音の空間に居る事も拒み始めた。それでも目は逸らせないのは、何故。


息をする、空気をゆっくり吐き出す、煙が揺蕩う、この繰り返しをとめたのは、その人が遠くを視るのをやめたからだ。そして、大きく吸った汚い煙を吐き出しながら、時間に逆らうようにゆっくり、私を振り返る。瞳は、暗かった。隻眼の奥には黒より濃い暗黒がせわしなく動き回り、偶に足を止めては獲物を仕留めんと狙う。危険だ、思った時既に足は動かなかった。地面と同化したみたいに、まるで動かない事が当たり前のように、そこに存在し続ける。にやり、その人が嗤うと、今度こそ心臓は全速力で走り出す。




「とても偉いイヌ、か。」




初めて聞いたその人の声は、あまりにも綺麗だった。しかし、同時に毒を含んだ声でもある。綺麗な包みで包んだ毒物。そんなイメージが頭の片隅で浮かんだまま離れない。その人は、ハチの頭から飛び降りて真正面から私を見る。ハチが、安堵の溜め息を吐いた声が聞こえた。


「ええ、とても、偉い犬です。」


震える体は抑えられない、仕方が無い事だ。恐ろしい、毒々しい、妖しい。全てを持っているこの人を恐れないのは、きっと同じように怖い人だけだろう。後ろで友達が私の手を引く、何か叫んでいる。人の目が此方に向く、周りに人だかりが出来る。それでも、彼らが見ているのは私だけだった。そして、彼らは私にだけ勇気をくれた。小さくとも人の気配が感じられるだけで、少しだけ温かくなる。


「お前はなんで俺に話しかけた?」
「ハチが苦しそうに鳴いていたからです。」
「アレを助ける為か。」
「アレじゃないです、ハチです。私の大事なお友達です。」
「アレが友達、たかがしれてるな。」
「友さえ居ない貴方なんぞに馬鹿にされたくはありません。」


睨めば、嗤っていた顔が、一瞬にして凶暴になった。ギラギラ光る瞳。中の獣が私を獲物と捕らえる。目は、その獣から離れられなかった。その人は、私に向かって前進してきた。途端に、周りの人が遠くへ離れていく。友達も、私の手を離して後ずさる、悲鳴が聞こえる。


「死にたいのか。」


その人が言う。なんて、重い言葉だ。綺麗な包みから覘く毒は、確実に私へと迫っている。動けない。言葉を発しようにも、喉は物が詰まったみたいに止まってしまった。苦しい、涙が頬を伝っていった。


「死にたいのか。」


もう一度問われると、地響きが体を包んだ。何が起きているかなんて、その人から目が逸らせない私には解らない。その人の、全てを憎む瞳は、例外なく私までをも憎んでいる。憎い、憎い憎い憎い。“センセイ”を奪った国が憎い。異人を受け入れた幕府が憎い。左目を奪った奴が憎い。のうのうと生きる人間が憎い。腐ったこの世が憎い。全てが憎い。隻眼のその人はそう言っている。


なら何故、憎しみの炎に身を焦がす獣と対照的に、その人から溢れる気配は悲しげなのだろう。私は、この鼓動の早さが嫌悪では無いと、気が付いた。ふとした瞬間に、喉の詰まりが取れる。


「死にたくないです。」
「・・・・・・・・・・・・。」


睨むその人は嗤った。馬鹿にした嗤いだ、生にしがみつく者を下等だと思う人の嗤いだ。同時に、包帯で隠れているはずの左の瞳は獣を悲しみ、生を欲している。嗤っているのに、泣いている。




「なんでそんなに悲しそうなんですか。」
「・・・・・・・・・・・・・。」




問えば、視界を覆いつくす程至近距離に居るその人の瞳から、獣が消えた。





















、・・・ッ!!」
「・・・うん?」
「大丈夫!?」
「・・・・・え?」


背後の友達を振り返ると、瞳一杯に溜めた涙を零しながら私に勢い良く抱きついた。周りの人々からも、溜め息やら感嘆の声やらが上がる。生きてて良かった、泣きじゃくる彼女は、つっかえつっかえそう告げた。私が、微音の世界に居る間何があったかなんて覚えてはいない。ただ、彼女がハチの名前を連呼するので何事かと前方を見据えれば理由が手に取るように解った。ハチの銅像が倒れていたのだ、私の、ほんの数センチ先に。


、がっ、あの時一歩引いてなかったらって思うと・・・!!」


たった一歩が、私の生を長らえさせたらしい。私は一歩後ろへ下がった覚えなど無い。足は、動かなかったはずなのだから。だとしたら私は後ろへ“動かされた”のだろう。なんとも、気まぐれな人である。


















警察が来て、野次馬の連中や私の友達に事情聴取をしている間、私は混乱しているのを理由に少し離れた場所へと移動し、適当な所に腰掛けた。勿論、冷静ではあるのだけど、私が説明しだしたらまず救急車に乗せられ精神病院へと連れて行かれたと推測する。殺されかけたなどと、誰が信じるものか。人がいたからこそ信じてもらえない事実もあるのだ。ハチの像へ目をやると、相変わらず人だかりとパトカーの赤い光が点在している。その中で、ハチは銅像が倒れた事に落ち込みながらも、先程より幾らか元気の良い声で鳴いた。あの獣に捕食されなくて良かったと、溜め息が出る。




「悪かったな。」




いきなり声を掛けられて、びくりと肩を揺らしてしまう。正面へ目を向ければ、先ほどのあの人が立っていた。もう、消えたと思っていたから尚更驚いた。隣に座る、決定事項のように言われては首を横に振れないだろう。その人が座れば、やはり冷気が漂ってきて私は体が冷たくて仕方がなかった。文句を言ったってどうしようもないのだけれど。


「お前、名は?」
「人に聞く前に自分で名乗ってくださいよ。」
「・・・。まあ、いいだろ。高杉晋助だ。」
「晋ちゃんね。」
「ブッ殺すぞ。」
「さっきブッ殺されかけたからもう怖くない。」


高杉晋助、たしか、天人が来たときに戦った人の名前ではなかっただろうか。すると、もう数百年も昔の人物になる。そんな奴が今もってこの地に残り続けている事に疑問をもったが、それぞれの事情があるだろうと思って聞かないことにする。


、名乗ればすぐに、と呼び捨てにしてきた。悔しいので私も晋助と呼び捨てにしてやった。


「晋助はなんで死んだの。」
「労咳。」
「今は肺結核って言うんだよ。そうか、血を吐いて死んだのか。そりゃ苦しかったね。」
「まあな。」


まあな、どころではなく苦しい事は、なんとなく解った。痛む胸、止まらぬ咳、唸る喉、吐き出される血。思わず手をそこへやるけれど、私の喉はいたって普通に機能している。もしかして先ほどの喉のつっかえは、彼の痛みを感じたからだろうか。


「今も、苦しい?」
「其れは、苦しくねぇ。」


また、悲しそうに遠くを眺めながら、自分の胸を擦る。同じように、彼の胸に触れようとするけれど、その手はあっけなく通り抜けてしまった。手に残るのは、ひんやりとした感覚。そうか、そうだ。この人は死んでいるのだ。触れられるわけがない。


最初からおかしいとは思っていた。こんなに目立つのに、誰も気が付かないわけがない。あんなに軽々しく着地も出来ないし、草履で足音を立てずに歩く事もできないのだ。何より、向こうの景色が見えるほど透けている人など居ない。ハチがあまりにも苦しそうに鳴くものだから、完全に頭から飛んでいたんだ。この人は、幽霊。


「私、足が残ってる幽霊見るの初めて。」
「ああ、俺も、俺以外に脚の有る奴を見た事はねェな。」
「この世に留まる意思が強いんだよ、多分。」


私は、幽霊をどうこうできるタイプの人間ではない。ただ、人が視えないものが視えるだけ。触れられもしないし、彼らに対しての知識があるわけでもない。けど、なんとなく。そう思った。ふわり、冷気が体を掠めるから何事かと思って晋助を見ると、やつは至近距離で私を眺めていた。


「・・・何。」
「俺ァ、この体になってからこんなに会話したのは初めてだ。日本を歩いて回った。それでも大体の奴には、俺が視えない。視える奴も悲鳴を上げて逃げやがる。なのに、お前とは初対面の筈だ。なんでだ?俺を知りもしねェくせになんで“悲しそう”だと言った?」
「そんな、聞かれても、ねぇ。」
「自分で解ってねェのか。」
「いや、そう言われちゃえばそうかもしれないけど・・・。」


実に不満そうな目だ。こいつが私に何を求めているかなど知る由も無いが、私の発言は彼にとって重要なものになったのだろう。私はただ、こいつの体から溢れる冷気が、一人ぼっちの子が纏うような・・・、冷たさというか、どうしようもない悲しさや、孤独を受け入れきれない寂しさと似ていたから、そうじゃないかと思っただけだ。


「ずっと一人なんだなぁって。」
「答えになってねェ。」
「一人って、悲しいし、寂しくない?」
「寂しいのか?」
「寂しいよ。」


寂しいの意味も解っていないようだった。生前も一人の人生を過ごしてきたのかもしれない。それとも、瞳の中の獣は寂しさを喰らう生き物なのかもと、晋助の中でまた動き回る獣を見て思った。晋助はきっと、死んでからも人を殺して回っている。黄と紫の着物から、血の香りが其処から出せと渦巻いているからだ。視覚では見えなくても、嗅覚は騙されてくれない。生者然り死者然り、数千にも上る数ではないだろうか。だから獣が当たり前のように晋助の中を巡っているのだとしたら、それはこれ以上無い不幸だと、私の尺度は考える。


「晋助。」
「なんだ。」


血の臭いを紛らわせる煙の匂い。此処ではない何処かを求める瞳。全てを、変えてやりたいと思った。初対面の、殺されかけた相手に何をと自分でも驚いている。何より、世に言う悪霊とはこいつを指すのだろう。それでも、その悪と言われる根源が、とてもちっぽけで誰もが持っている理由から作られてるとすれば、私はこいつを、少しでも助けてやれたらと思ったのだ。


触れられるはずも無い頭に、形だけ手を置き撫でてやれば、獣も、彼も、驚いように動きを止める。煙は空へと昇り、瞳は私を捉え困惑する。





「寂しいのなら、私が一緒に居てあげるよ。」





だから、そんなに遠い場所を見つめていないで、こっちまで悲しくなるじゃないか。




「・・・そうか。」


すると晋助は、出会って初めて、心底楽しそうに笑ってみせたの。まるで、何も穢れをしらない子どものようだった。
























お前についていく

ネオンもクラクションもノイズも似合わないこの人に、唯一私だけが気が付いた。


「俺を恐れないのか?」
「怖がられたいの?」
「・・・いや、いい。」




「・・・ねぇ、ちょっと。あんた誰と話してるの?」
「んー・・・。知らない方がいいよ。気絶されても困るし。」
「ちょ、何それ!?やめてよ、寒くなってきたじゃん!!」
「(実際冷気放つ人が隣に移動したよ。・・・なんて言ったらどうなるだろう。)」



今思えば、自ら進んで取り憑かれたのは初めてではないかと、肩を抱き震える友人の隣で首を傾げた。

















あとがき
ハロウィンにフリーだった高杉さんです!
幽霊パロに、挑戦・・・!設定は、銀ちゃん達亡き後の世界です。天人は居ます。首都の名前が江戸から東京へ。簡単に言えば、今私たちが暮らしている世界よりちょっと高度な技術を有していて、異人が沢山居ると思ってもらえれば。


高杉さんは所謂成仏してない“悪霊”ですね。日本各地を回ってはざっくざく人(と幽霊)を殺して、その度に虚しさとかが湧き上がってくるけど、この世が憎くて成仏できずになっている感じ。けど、数百年経って、気付いてもらえない寂しさが段々湧き上がってくればいいんじゃないかなぁと。労咳(肺結核)で死んだのは晋作さんですが、パロディということで晋助さんの方にも適用させていただきました。(明治初期までは“肺結核”を“労咳”と呼んでいたそうで。不治の病だったそうです。)実際本誌でどんな感じになるかは解りませんが・・・。まあパロディですしね☆(パロディと言えば済まされると思っている・・・!)


ヒロさんは、霊感のある女の子で、よく色々見てます。裏設定でお隣の家に憑いてる落ち武者に怯えてたりしてますが今後登場予定はあまりないので使えるかどうか。ヒロさんがハチ、ハチ呼んでるのは皆さんご存知忠犬ハチ公の幽霊です。東京に遊びに行ったときに会う仲の良いお友達。


かなり捏造入っていますが、まあパロディですしn(殴)ありがちネタですませんでしたー!
ハロウィンと言ったらやっぱ妖怪だろ!と思ったのですが幽霊になっちゃったもんは仕方が無いですよね!何よりこのサイトとしては鵺でやるべきところを高杉さんでやっちまった時点で土下座ものですし!地面に額擦り付けて謝ります、大目に見てください(土下座)